(今のところ)最後の出会い

 

なんやかんやありつつ、無事ジャニーズJr.情報局に入会した私ですが、まともな基礎知識があったのはSixTONESのみでした。まあ、遅かれ早かれジャニーズJr.に足を踏み入れた時点でゆくゆくは詳しく知っていくことになったはずなのですが、当時のSnow Manに対する知識といえば、「メンバー増員したグループ」「少年たちに出ている人」でした。思い返せば、映画の公開を控えていたころのことです。

 

その当時私が一番知っていたのは、加入メンバーの一人である目黒蓮さんでした。

友人が林翔太くんのファンで、They武道時代からいろんな話を聞いていた影響と、私自身が嵐ファンだったこともあり、目黒くんたちが加入し宇宙sixが結成された時からなんとなく気になる存在ではあったと記憶しています。

今のSnow Manのメンバーの中で最初に生で見たのも、目黒くんでしょう。おそらく。

 

話はSixTONESに戻り、舞台は横浜アリーナ。「CHANGE THE ERA -201ix-」初日のことです。好きになって日も浅い、Jr.のコンサートのいろはもわからないままそこにいた私の隣には、嵐ファンとして友人になり、一足先にJr.にハマっていたフォロワーがいました。

 

そこでやっと、私はSnow Manをちゃんと知ることになります。

 

 

 

 

 

 

衝撃的な、三つ目の出会い

小学生時代から話は一気に進み、わたしは大学生になり、関西から上京し一人暮らしをはじめました。

相変わらずの嵐ファンです。学校や職場、新しいところに行くといつも痛感しますが、嵐ファンって本当にどこにでもいますよね。オタク友達も見つかり、せっかく関東に来たことだし、次行くライブは東京ドームだろうな、楽しみだな、京セラより大きいってどんな感じだろう、もしかして、番協とかいけちゃったりするかも。当然のように、そう思っていました。だって嵐ファンだから。嵐しか見ていなかったから。特別なことがない限りは、自分の次の現場は五大ドームツアーだ。

 

・・・この考えが、まさか人生を変える巨大フラグだったことに、この時の私はまだ、気づいていません。

嵐以外のデビュー組にすら興味のなかったわたしにとって、ジャニーズJr.なんていうものは、あの巨大な事務所のなかで、最も遠い存在でした。

後から聞いた話ですが、高校時代、髙橋海人くん担当の友人に「ジュニアは絶対ハマらないから(笑)」と、これまたデカすぎるフラグを立てていたそうです。

 

コンサートは一年に一回。当たらなかったらまた来年。新生活に心躍らせていた2018年4月。そんなわたしの固定観念が崩されるまで、一年を切っていました。

 

「ジャニーズをデジタルに放つ新世代。」

皆さんもちろんご存じであろうこの言葉。YouTubeが実施する、「YouTubeアーティストプロモ」に、当時ジャニーズJr.として動画配信を行っていたSixTONESが抜擢されたときに使用されたコピーです。(デビューおめでとう!)どうして急に、と思われるかもしれません。

何を隠そうわたしは、いうなればれっきとしたYouTube新規です。まさに、このキャッチコピーによって、わたしは新しい沼に足を踏みいれることになりました。

 

見事にテレビっ子に育った私は、普段、YouTubeなんてめったに見ることはありませんでした。

しかしその日、どうしてそこにたどり着いたのか「Japonica Style」のMVに出会います。これまた話せば長くなるのですが、ジャニーズJr.のことは全くもって知らなかったわたしも、SixTONESだけは全員の顔と名前を知っていました。なぜかは、またいつかお話しできたらなと思います。


…え?この子、こんなにカッコよかったっけ?


曲が始まって1分も経たずに、わたしはある1人に釘付けになりました。花弁をふわりと散らして、夢恋桜…そう、森本慎太郎です。

いやいや、知らない、確かにこれは森本くんだけど、いや、これは、わたしの知っていた彼じゃない…私はSixTONESでいうなら、北斗くんが好きなはず、森本くんは、私が歴代推してきた誰にも当てはまらないから、そんなはずは…


まあ、どんな言い訳をしようが、とにかく森本慎太郎の衝撃がすごかった。顔がいい。SixTONES、顔と名前しか知らないけど、ずば抜けて、タイプ。


そんな出会いをしてしまってから2ヶ月後、偶然見たザ少年倶楽部でふざける森本慎太郎さんの姿を見て、私は無事にジャニーズJr.情報局に入会しました。これが、今の私をつくる、全てのはじまりです。

ふたつめの出会い


櫻井翔くんのファンになった日は、多分一生忘れません。2010年2月7日。ドラマ「特上カバチ!」第4話の放送日でした。

冒頭から気持ち悪くてごめんなさい。


生粋の教育テレビっ子だった私は、「嵐限定」で民放を見るようになっていました。

10周年を迎え爆発的人気になった嵐はとにかくテレビにずっと出ていました。(まさか10年が経とうとしている今も同じレベルで出続けているとは、本当に嵐さんはすごいです)ひみつの嵐ちゃんVS嵐、そして毎週誰かが出演していたドラマ。当時はドラマリレー真っ最中でした。


特上カバチ!」も、そのひとつ。1〜3話までは、ぼうっと、なんとなーく、かっこいいなー、って思いながら見ていました。なんで4話で急に覚醒したのかはわかりません。

分からないけど、でも、突然に、まさに雷に打たれたように「この人が好きだ」と思いました。なにがあったのかは本当に不明なのでこれ以上何かを語れる気がしないのですが、とにかく、とにかく私はこの人だ、と(なぜか4話で)確信しました。


櫻井担になったのにこれ以上のきっかけは特にありません。2月6日までは箱推しでした。2月7日からは、櫻井担の、嵐ファンになったのです。


それから、今までの録画を櫻井くん中心に見返して、雑誌も見返して、なんで気づいてなかったんだろうと自分に驚き、そして櫻井翔という存在の素晴らしさに感動しました。


短いですが、これがふたつめの出会いです。


問題はここから。

現実の恋愛にのめり込みすぎて嵐がおろそかになる事件。FC加入は高校生まで待てと言われる事件。家族で私以外芸能人に興味ない事件。私を引き込んだ親友は飽き性ですっかり嵐から離れ、気づけばキスマイにハマりまた離れ、LDHにハマっていた事件(それも今は離れ)など、たくさんの出来事がありつつも、初めてのライブ、ワクワク学校、そして相変わらず出続けるテレビと、嵐が日常の一部として生きる日々は続きました。


嵐を推す傍、NEWSにハマりそうになったり、V6沼に片足突っ込んだりしながらも、ファンとまではいかないままだったので、本当に嵐しか知らない一途ジャニヲタとして、私は大学生になりました。



ひとつめの出会い

その時わたしは小学校3年生。場所は、市内の総合体育館のギャラリー。

私は、12チャンネル(当時のアナログ放送におけるEテレ)しか見ることのない小学生でした。
3歳差と7歳差の妹がいる我が家では、いつまでもテレビの世代交代は起こらず、「芸能人」をほとんど知らないまま9歳になりました。

私には親友がいます。小学校一年生の時に同じクラスになった女の子です。お察しかもしれませんがこの親友が嵐にハマったことにより、今後の私の人生は大きく変わることになります。
さて、文頭のシチュエーションをもう一度思い起こしてみましょう。なぜ体育館のギャラリーにいたのかは覚えていませんが、おそらくどちらかの兄弟の習い事について行って、見学していたのだと思います。
そのとき、親友が手に持っていたのはiPod。イヤホンを半分こする、よくある流れです。


「この曲、めっちゃいいで」


そう言われながら、何曲も何曲も嵐の曲を聞かされました。嵐、という人たちがいるのは知ってるけど、顔と名前が一致しないし興味も全然ない私からすれば、聞かされた、というのが率直な思いでした。
そんな中、一曲だけ頭から離れなくなったのが、「風の向こうへ」です。2008年、truthと同時に両A面シングルとして発売されたこの曲が、異様に印象に残ったのです。

それから、嵐自身の露出も増えていき、街中やふと見たテレビで嵐の姿をよく目にするようになり、知っていくのに時間はかかりませんでした。

祖母の入院していた病院に置かれていた嵐が表紙の月間TVガイド。これはのちに、私が初めて手に入れた嵐が表紙の雑誌として、実家の本棚に大切に保管されることになります。

親友の嵐推しは止まらず、学校でも放課後でも、布教されていました。
もちろんその結果、私は、立派なひよっこ嵐ファンとなっていたのです。

初めて使う録画機能。初めて買ったドル誌はduetでした。母親と2人で行ったスーパーの雑誌コーナーで買ってもらって、その後に寄った喫茶店でワクワクしながら読んだのをよく覚えています。
嵐は私にたくさんの初めてをくれたのです。

しかし。この段階でまだ私は「推し」という概念を持っていませんでした。
嵐はみんな仲良しで、5人とも面白くて好き、だったので、容姿では誰が好き、という段階まで至ってなかったのが大きな原因でしょう。

今ならとりあえず顔を見ますが。

もちろんかっこいい人たちだとは思っていましたが、小学生だったからこそ、彼らの容姿の素晴らしさにはまだ、完全には気づけていなかったのです。

二度めの出会いは、私がたった1人の彼に釘付けになったとき。嵐を好きになってから、1年が経とうとしていました。